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日本数学会

日本数学会のあゆみ

日本数学会のあゆみ

明治10年 (1877)4月 東京大学設立.
5月頃 在京の数学者達が相会し, `数学の開進を計る' ことを協議.
9月東京数学会社創立. 総代 (後に社長と改称) 神田孝平, 柳楢悦; 編輯 大村一秀(題言別掲).
10月以後毎月第一土曜日に湯島昌平館に集合して定会開催. 第1回としてドイツ入ドクトル・シェンデル (名簿にはセンデルとある) の講演(2回にわたる).
11月東京数学会社雑誌第1号発行. 和紙縦組木版, 菊版半截. 14 葉(28 ベージ), 以後毎月発行.
主として`社員' からの設問と解答を掲載. 巻末には社員希望者114名の名簿あり.
12月社則( 6カ条;別掲) を定める. 常員は入社金1円, 毎月20銭の会費を納めることとなった. 常員となったもの55名.
明治11年(1878)3月柳楢悦洋行のため, 岡本則録(神田孝平とともに) 社長となる.
6月岡本則録最初の総理 (雑誌編輯責任者) となる. 以後総理は毎号交代している. この頃維誌は二十数葉となる.
9月東京数学会社雑誌第9号より活版刷となる.
11月以後例会で毎回講義を行う.
明治12年(1879)10月この頃会の不振を挽回するため, 委員を設けて雑誌の編輯を行い, また書記生を置いて, 雑誌の郵送, 会費収納事務を行わせる. この頃会員66名.
11月委員12名を選挙で決定. 以後委員や有志が定期的に日本橋呉服町`柳屋' に会合して雑誌発行について協議. また会則を8ヶ条に増補(雑誌 20 巻に掲載).
12月東大理, 物理学科の学生が中心になり, ニュートン祭 (12月25日頃) が始まる.
明治13年}(1880)3月神田孝平, 社長を辞任.
4月柳楢悦, 社長. 選挙により, 川北朝鄰, 岡本則録を事務委員に選出. 後に伊藤直温を委員補欠に追加.
4月以後1年半ほど, 例会は京橋区日吉町, 共存同衆館で開かれる.
5月社則を改訂, 23ヶ条に増補(別掲). ただし会誌には7ヶ条の要約が掲載.
入社には社員1名以上の保証あるものについて委員の協議によって許可, 入社金1円. また毎月雑誌を発行して社員に配達することや, 学術委員, 事務委員を設けることなどが定められた.
7月社則の規定にある学務委員を定めた. 最初の委員は下記のとおり.
算術・代数学山本信実, 川北朝鄰
幾何・三角法中川将行, 荒川重兵, 伊藤直温
球面三角法・星学・航海学磯野健, 肝付兼行
代微積岡本則録, 赤松則良
三軸法・重学菊池大麓
本朝数理大村一秀, 福田理軒, 川北朝鄰
(測器類の試験 ; 磯野健, 肝付兼行)
8月訳語会会則を定める.
9月以後毎月共存同衆館で訳語会を開催. 9月の第1会の訳語会で, 下記の訳語を議定: Quantity 数量, Number 数, Abstract Number 不名数, Concrete Number 名数; Unit の訳語は`紛々決せず'.
明治14年(1881)前年12月〜3月訳語会において多数の訳語が決定; 精しくは数学会刊行物記事参照.
5月東京数学会社雑誌第36号より菊版西洋紙, 縦二段組となる.
9月以後例会を帝国大学(東京大学) で開催. この頃会の仮事務所は麹町区富士見町2丁目29番地にあった.
12月雑誌42号付録に多数の訳語を決定にいたる討論を掲載. Algebra の訳語に`点竄'がしりぞけられ, 代数学と決定.
明治15年(1882)2月雑誌44号付録に訳語の追加. 数学, 算術, 単位などの訳語がようやく決定.
5月菊池大麓, 社長廃止を提案. ( 2, 3 ヶ月でまた復活).
8月柳楢悦退社.
明治16年(1883)6月山川健次郎の発議により, 物理訳語会発足.
明治17年(1884)5月菊池大麓の動議により, 物理学・星学に攻究するものも含めて社を拡張し, 東京数学物理学会とすることを討議.
6月東京数学物理学会に改組. 東京数学会社雑誌は第67号をもって廃刊. 東京数学物理学会記事を出版することを決定.
以後毎月 (5月, 8月を除く) 第一土曜日に常会, 5月第一土曜目に年会を開催することに定められた. 入会金 1円, 会費月20銭. 委員長選挙を行なう. 最高得票の菊池大麓は洋行予定のため辞任し, 次点の村岡範為馳が初代委員長となる.
7月5日に帝国大学で第1回常会開催. 会員総数 82名.
山川健次郎ら関賞牌を動議.
9月関賞牌規則設定. 資金は有志の寄附により, 賞牌の地金は金9銅1のものと定められた. 趣旨は`関賞牌ハ関先生ノ芳名ヲ不朽ニ伝へ且数学ノ進歩ヲ奨励スルタメ数学上功績アル本邦人ニ授与スル者トス'.
明治18年(1885)2月東京数学物理学会記事第1巻刊行. 四六版縦組. 編輯者 : 山川健次郎, 寺尾寿, 川北朝鄰, 荒川重平, 村岡範為馳, 菊地鍬吉郎, 発兌書*: 丸屋善七 (現在の丸善), 土屋忠兵衛とある.
数学会社雑誌が問題と解答中心であったのに対して, 事務記録のほか, 解説記事や国際会議の報告が中心になった.
7月隈本有尚, 北尾次郎の動議により, 反対意見もあったが, 会の記事はローマ字綴で記されることになる.
明治19年(1886)9月 東京数学物理学会記事第3巻を TŌKYŌ SŪGAKU BUTURIGAKU KWAJ KIJIという表題のもとに発行する. ただし表題のローマ字綴りは, この後しばしば変更されている.
以後横組み, 会務の記事はローマ字書き, 学術的論文は英文またはローマ字書き日本文となる.
明治20年(1887)6月入会金1円, 会費年2円と定める. 会員数94名.
記事は第4巻第1号から菊版となり, 外国の文献の翻訳紹介も掲載されるようになる. 下記の論文の英訳が掲載され, 1891年に Memoirs on Infinite Series という題の下に単行本として発行された.
原著者原雑誌原語訳者
DirichletCrelle's J. 17フランス語藤沢利喜太郎(PDF)
AbelCrelle's J. 1フランス語三輪桓一郎(PDF)
Gauss全集3巻ラテン語菊池大麓(PDF Part2)
Kummer Crelle's J. 15ドイツ語長岡半太郎
明治21年(1888)5月富士見町富士見軒にて年会開催(東京大学以外での 最初). 記録の末尾に `右畢テ別席ニ於テ會ヲ開キー同歓ヲ尽シテ散會ス' とある.
この年現在アメリカ数学会の前身 New York Mathematical Association が会員16名で発足.
明治22年(1889)10月沢田吾一に関賞牌授賞. この授賞はこの1回のみであった.
明治24年(1891)1月創立者の一人柳楢悦没.
5月委員長, 東京天文台長寺尾寿の世話で, 東京天文台 (麻布区飯倉) にて年会を開催. 10日会員一同水星日面経過を観測.
明治25年(1892) 記事第5巻を発行. 巻頭に Kronecker (1823. 12/7−1891. 12/20) の写真を掲げ, 藤沢利喜太郎による追悼文を掲載.
また G. B. Halsted (Texas 大学) の英訳した Lobatschewski, J. Bolyai の非ユークリッド幾何学の論文が,菊池大麓の尽力により転載された.
明治27年(1894)7月菊池大麓: `円の積を見出す和算の方法'の講演が常会で行われる. この頃から講演会の活版刷による案内が保存されている.
明治29年(1896)前年秋に行われた W. K. Röntgenの X 線の発見の報に基づき, 山川健次郎, 村岡範為馳, 島津源蔵らX線の実験に成功.
7月記事第7巻に W. K. Clifford の英訳による Riemann の`幾何学の基礎をなす仮説について' を転載.
また日本の算家譜略が掲載, 川北朝鄰による関流宗統修業免状の全文を寄せる.
この年から1900年の第5冊まで藤沢利喜太郎教授セミナリー演習録を出版. e と π の超越性の証明の紹介などがある.
明治 30年(1897)京都帝国大学設立.
明治31年(1898)創立者の一人, 神田孝平 (1830-- 1898) 没.
明治32年(1899) 5月英国ケンブリッジ大学 Stokes 教授開講50年の祝賀式に, 委員長田中館愛橘の名で祝賀状を送る.
明治33年(1900)8月パリで第2回万国数学者会議開催 Hilbert の講演:`数学の問題' の藤沢利喜太郎による紹介あり.
また第1回国際物理学会議に長岡半太郎が招待され,磁歪について講演.
12月この頃 `記事' の発行が不規則となる. 1896年5月から1900年2月までの記事が, 漸くこの年発行の第8巻の6冊にわたって掲載された.
明治34年(1901)6月Tokyo Sugaku Buturigakkwai Hōkoku という表題の雑誌を毎月刊行. 事務概要や講演概要を主として日本文によって掲載.
明治35年(1902)11月関孝和200年祭執行方法を議す.
明治36年(1903)12月上記の雑誌の表題中 Hōkoku を第2巻第7号から Kiji-Gaiyō と改める. 以後事務概要は次第に減って1 ページぐらいになり, 講演概要は数ページにおよぶようになる.
明治37年(1904)ハイデルベルクで行なわれた第3回万国数学者会議に三輪桓一郎, 中川詮吉出席.
明治38年(1905)3月Kiji-Gaiyō 第2巻第20号から, Proceedings of the Tokyo Physico-Mathematical Society という副題がついた.
明治40年(1907)1月雑誌の表題 Kiji-Gaiyōを第3巻で廃止, 第4巻から Tôkyô Sûgaku-Buturigakkwai Kiji, Dai 2 Ki, 副題 Proceedings of the Tôkyô Mathematico-Physical Society, 2nd Series と改題 8月を除く月刊, 2ヶ年にわたる22冊をもって1巻とする. 第4巻は466 ベージ, 第5巻は460 ページ. この頃から漸く今日のような学術雑誌としての体裁がととのう.
4月関孝和200年祭を行う. 川北朝鄰の式辞およひ遠藤利貞の講演.
また年会の折に学術通俗講演を行い, 数年間続く. その講演集を刊行.
9月関流算法七部書を刊行.
12月関先生二百年忌記念本朝数学講演会が東京神田区一ツ橋の東京高等商業学校大講堂で行われる (5日).
菊池大麓ら有志により, 東京牛込区浄輪寺において関孝和贈位奉告祭挙行 (6日).
明治41年(1908)3月上記の本朝数学講演会の講演集刊行. 収録講演者は藤沢利喜太郎, 林鶴一, 狩野享吉, 菊池大麓, 川北朝鄰, 遠藤利貞.
この年から委員, 委員長の任期をそれぞれ2年, 1年とする.
明治42年(1909)3月Tôkyô SÛGAKU-BUTURIGAKU KWAI KIZI (第1期) は1902年8月刊行の第9巻第1号以降永らく中絶していた. この月1901年12月より1906年12月までの事務, 講演の記録を収めて第9巻第2号として刊行. これをもって第1期 (1st Series)の終刊とする.
明治43年(1910)2月学会の常会委員会の記録と別に, 通俗講演会記録を整理.
長岡半太郎, 本多光太郎らの建議により, 東北帝国大学, 九州帝国大学設立.
明治44年(1911)日本における最初の国際的数学専門誌である東北数学雑誌 The Tôhoku Mathematical Journal 創刊.
明治45年=大正元年(1912)8月明治天皇崩御につき本会会員一同より奉悼文を呈出. 9月の常会で報告.
ロンドンで開催の第5回万国数学者会議に, 菊池大麓, 藤沢利喜太郎, 窪田忠彦出席.
大正3年(1914)4月これまで会の常会, 委員会の記録は毛筆縦書きであったが, この年の年会から, ペン書き横書きとなる.
大正4年(1915)8月雑誌 Kiji 所載の事務記録をローマ字書きにすることを止める.
大正5年(1916)物理学者本多光太郎, `鉄に関する研究' により学士院賞受賞.
大正6年(1917)8月菊池大麓 (1855. 3/17--1917. 8/19) 没. 藤沢利喜太郎により英文の追悼文を Kiji に掲載.
大正7年(1918)4月会員が多数になり, 全国に散在するようになったので, 委員長長岡半太郎から会名を日本数学物理学会とすることを提案.
5月蘆野敬三郎, 平山清次らは`日本物理学会' と改称することを提議.
9月会名変更案が正式に常会に上提され, 日本数学物理学会とする案が通過, 同会が成立, 会員数439名.
大正8年(1919)欧文誌 Nippon Sûgaku-Buturigakkwai Kiji, Dai 3 KI (Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan, 3rd Series) 創刊. 四六倍版 (今のB5版), 8月を除く月刊, 各冊は10--40 ページ, 毎年1巻となる. 英文の Mathematics と Physics との順序が逆転したのは, 口調のため, 短いほうが前にくるのが慣例だからという.
大正9年(1920)日本学術研究会議創立. ストラスブールでの万国数学者会議で高木貞治, 類体論を発表. また小倉金之助も出席し, 講演.
大正11年(1922)3月A. Einstein 来日.
大正12年(1923)4月年会を数学分野と物理学分野に分けて開催 (各2日).
9月関東大震災のため9月の常会を中止. しかし 10月以降は毎月東京帝国大学化学教室で開催される.
大正14年(1925)12月理科年表創刊.
大正15年=昭和元年(1926)12月大正天皇崩御のため, Kiji 第8巻第11号から1年間, 表紙を黒枠刷とする.
昭和2年(1927)2月規則改正を可決.
9月日本文の機関誌日本数学物理学会誌を創刊.主として綜合報告や外国の文献紹介を収める. 以後欧文誌は研究発表中心, 日本文誌は紹介記事記録中心という方針になる.
昭和3年(1928)4月学会創立50周年記念大会講演会を東大にて開催. 委員長中村清二が創立以来50年の歴史について報告 (末尾の文献 [4]).
掛谷宗一, `連立積分方程式およびこれに関連する函数論的研究' により学士院恩賜賞受賞.
ボロニアで開催された第8回万国数学者会議に, 掛谷宗一, 末綱恕一, 岡田良知, 吉田洋一, 河口商次, 杉村欣次郎ら出席.
昭和4年(1929)7月東北帝国大学で年会開催(3日間). 東京以外の地で年会が開催された最初であり, 以後隔年に東京と東京以外での開催が恒例となる.
昭和5年(1930)5月常会とは別に委員会を定期的に開催するようになる. 北海道帝国大学理学部開設.
昭和6年(1931)6月日本数学物理学会誌を年4回発行とする.
大阪帝国大学設立.
10月京都帝国大学で年会開催 (3日間), 東京以外で開催された第2回目.
昭和7年(1932)7月`応用物理' 創刊, チューリヒで開かれた万国数学者会議に高木貞治, 南雲道夫, 三村征雄, 彌永昌吉, 守屋美賀雄ら出席. 高木は第1回 Fields賞委員.
昭和8年(1933)8月会誌8月号も含めて完全な月刊となる.
12月藤沢利喜太郎 (1861. 9/9--1933. 12/27) 没.
昭和10年(1935)4月大阪帝国大学で年会開催(4日間).
昭和11年(1936)オスロの万国数学者会議に, 藤原松三郎, 国枝元治, 下村市郎, 田中正夫ら出席.
昭和12年(1937)7月北海道帝国大学で年会開催 (4日間, ただし数学関係は2会揚で2日間).
11月文化勲章制定. 木村栄, 本多光太郎, 長岡半太郎第1回受章.
昭和14年(1939)功力金次郎, `抽象空間の研究' により, 学士院賞受賞. 名古屋帝国大学開設.
昭和15年(1940)11月高木貞治, 文化勲章受章.
12月社団法人に改組の件可決.
昭和16年(1941)2月社団法人の組織をとる.
昭和18年(1943)7月東北帝国大学で年会開催(3日間). 敗戦前最後の年会となる.
11月湯川秀樹文化勲章受章.
日本数学物理学会会誌は, この年刊行の第18巻をもって事実上廃刊となる.
昭和19年(1944)4月文部省統計数理研究所設立. 初代所長掛谷宗一.
7月年会を中止. 全国的な大会の開催が不可能になったので, 代りに地方支部会や分科会が開催される. 山内恭彦主催で応用数学分科会第1回が東京帝国大学で開催, 以後3回まで行われる.
9月翌年6月まで4回京城支部会が開催.
11月田中館愛橘, 岡部金治郎, 文化勲章受章.
大戦のため, 欧文誌 Proceedings もこの年発行の第26巻第3/4号をもって事実上廃刊となる.
昭和20年(1945)3月頃から各地大学の疎開始まる.
4月年会を中止. 1月〜3月は講演申込者皆無や空襲のため常会も中止.
7月敗戦前最後の常会開催, 講演者増山元三郎. また京都支部会開催 (21日主として数学分野). これが敗戦前の最後の公式会合のようである.
9月8日東京大学において戦後最初の常会開催.
10月大戦中失われた学会としての機能を復活し, より以上活発にするため, 以前から議論があった数学会と物理学会の二学会に分離することが, 理事長清水武雄から提案.
11月仁科芳雄, 文化勲章受章.
12月臨時総会において分離が決定.
昭和21年(1946)4月日本物理学会設立総会, 会員1812名.
5月日本物理学会の欧文誌 Journal of the Physical Society of Japan 創刊, 隔月出版.
6月日本数学会設立総会, 7分科会, 8支部として発足. 会員751名 (以後専ら日本数学会関係の事項に限る).
数物会誌最終号刊行, 物理学会会誌創刊 (隔月出版).
昭和22年(1947)4月日本文の機関誌数学創刊. 以後年1巻季刊. 岩波書店から発行.
5月東京大学において日本数学会最初の年会開催. 2会場3日間. 全国的大会は春秋2回となる.
数学辞典の編集の企画が本ぎまりとなる.
当用漢字制定にともない学術用語委員会が規格協会などと共同で発足, 約1年ほどで案を提出. 文字の書きかえ (函数→ 関数, 拗物線→ 放物線など), 言葉のいいかえ (収斂→ 収束, 梯形→ 台形, 楕円→ 長円など). また当用漢字とは無関係に戦時中から諸分野・諸学派の術語不統一を統一しようという動きを受けついだ変更(常数→ 定数, 定差→ 差分 など) もあった.
昭和22年(1948)1月日本学術会議発足. 増山元三郎, `標本抽出による推計理論の発展と応用'で朝日賞受賞.
9月欧文誌 Journal of the Mathematical Society of Japan 創刊.
10月秋季総合分科会を京都大学で開催. 日本数学会となって, 最初の東京以外での全国的大会である (以後の開催地は別掲).
昭和24年(1949) 数学基礎論, 実函数論両分科会が追加され, 全9分科会となる.
正田建次郎, `抽象代数学の研究' により学士院賞受賞.
12月湯川秀樹ノーベル物理学賞受賞.
昭和25年(1950)8月ハーバード大学において 1940年に予定されていた万国数学者会議開催. 十数名が出席し, 事実上国際学界への復帰となる. 招待講演者は角谷静夫, 岩沢健吉, 中山正. IMU (国際数学連合) が UNESCO の下部機構として改組され, 日本はグループ 4に位置づけられる.
昭和26年(1951)岡潔, `多変数関数の研究' により学士院賞受賞, 高木貞治文化功労者となる.
昭和27年(1952)5月社団法人の組織をとる.
昭和28年(1953)12月`数学' 第5巻第3号より`問題と解答' 欄新設.
昭和29年(1954)1月岡潔`多変数函数論の研究' で朝日賞受賞.
5月`数学' に雑纂 (後に, 雑録, 記録と改称) 欄新設.
6月数学辞典を岩波書店より刊行.
8月アムステルダムでの万国数学者会議において,小平邦彦フィールズ賞受賞. 招待講演者は吉田耕作, 小平邦彦, 矢野健太郎.
昭和30年(1955)7月叢書 Publications of the Mathematical Society of Japan を創刊 (Publication の項参照).
9月東京および日光において代数的整数論に関する国際シンポジウム開催. 1953年の京都における国際理論物理学会につぐ戦後2度目の国際学会.
昭和31年(1956)5月`数学' 第7巻第4号を上記シンポジウムの特集号とする. 特集号の最初である. またこの頃から `数学' に年会, 秋季総合分科会の講演プログラムを収録していたのを中止.
東洋紡社長谷口豊三郎氏寄金による数学研究振興会発足. 7月 第1回微分幾何学セミナーを赤倉東洋紡寮で開催
12月賛助会員募集 前年9月の国際会議の報告 Proceedings of the International Symposium on Algebraic Number Theory 発刊.
昭和32年(1957)この年より受賞候補推薦委員会および国際交流委員会を設置.
7月谷口資金により第2回シンポジウムとして代数幾何セミナーを赤倉東洋紡寮で開く. 以後毎年7月各分野で開かれた.
11月小平邦彦, 学士院賞と文化勲章受章.
12月`数学' 第9巻第2号`創立80周年記念特集号'とし, 簡単な年表 [1] が載せられた.
昭和33年(1958)1月戸田宏, `位相幾何学におけるホモトピー論の研究' により朝日賞受賞.
8月エジンバラで万国数学者会議. 招待講演者は永田雅宜, 松坂輝久, 志村五郎.
10月`数学' 第10巻第1号に1957年の年会, 秋季総合分科会のプログラム掲載. これがプログラムが掲載された最後である.
昭和34年(1959)4月数理科学総合研究班発足.
`数学' 第10巻第3号を前年秋に行われた `関孝和250年祭特集号' とする.
8月応用力学連合講演会に再参加.
昭和35年(1960)1月岩沢健吉, `位相的方法を用いた整数論の研究' により朝日賞受賞.
2月高木貞治 (1875--1960) 没.
7月`数学'第12巻よりノート欄新設. またこれまでの論説, 総合報告を一体として論説とする.
11月岡潔, 文化勲章受章, 文化功労者となる.
昭和36年(1961)加藤敏夫, `物理数学の近代解析的研究' で朝日賞受賞.
1月 `数学' 第12巻第3号を高木貞治先生特集号とする.
11月近藤基吉, `解析学の構成的基礎' により偕成学術奨励金を受ける. 福原満洲雄, `微分方程式の研究' により学士院賞受賞. 第6回谷ロシンポジウムとして, 堅田求是荘で多様体の微分幾何的な研究セミナーが開かれた.
昭和37年(1962)岩沢健吉 `群論及整数論研究' により学士院賞受賞.
8月ストックホルムで万国数学者会議。 招待講演者は広中平祐, 井草準-, 伊藤清, 倉西正武, 鈴木通夫.
昭和38年(1963)1月松島与三, `連続群論の研究'により朝日賞受賞.
4月全国共同利用研究所として京都大学数理解析研究所設立. 初代所長, 福原満洲雄.

「数理解析研究所ができるまで」(福原満洲雄、「数学」36巻)他

5月谷口資金による代数幾何シンポジウムが堅田求是荘で, Lang, Mumford, 広中の参加で開かれた.
昭和 39年(1964)6月吉田耕作他3名, `解析的半群の理論および応用' により藤原賞受賞.
谷口資金による数学教育に関する日米研究集会を東京および堅田で開催・翌年報告集:Proceedings of the Preliminary Meeting in College Level Mathematics Education 発行.
昭和40年(1965)5月谷口資金による偏微分方程式シンポジウムが堅田で開催. Stone, Schwartz, Nirenberg 参加.
12月`数学' 第17巻3号を`1965年度年会総合講演特集号' とする。 主に来日外国人学者の講演である.
昭和41年(1966)8月モスクワで万国数学者会議.招待講演者は小野孝, 志村五郎. 次回の開催地を日本でと申請したがニースにきまる.
溝畑茂, `偏微分方程式の研究' により松永賞受賞.
9月谷口資金による特別事業国際会議 `微分方程式と多様体' が求是荘で開催. Friedrichs, Phillips, Spencer, Kohn, Rossi, Baily, 小平, 倉西参加.
10月谷口資金による微分位相幾何シンポジウムが求是荘で開催, Thom 参加.
昭和42年(1967)3月`数学' 第18巻第4号` 日本数学会20周年記念特集号' とする.
3月吉田耕作, `近代解析の研究' により恩賜賞受賞.
4月`数学' 第19巻第1号を `モスクワコングレス特集号' とする.
昭和43年(1968)1月広中平祐, `代数多様体の特異点の解消' の研究により朝日賞受賞.
園正造, 文化功労者となる.
4月`数学辞典' 改訂第2版発行.
昭和44年(1969)1月`数学' を各号64 ページから 80 ページに増ページ. またこれ以後発行を暦年にあわせ, 各巻 1〜4号1月, 4月, 7月, 10月発行とする.
4月東京, 経団連会館において函数解析学国際会議開催. 翌年1月発行の`数学' 第22巻第1号を`1969年函数解析学国際会議'特集号とする. また報告集Proceedings of the International Conference on Functional Analysis and related topics が1970年に東大出版会から発行される.
4月`数学' 第1巻一第20巻の総目次索引を臨時号として発行.
8月第1回数学教育国際会議が, フランスリョンで開催. 秋月康夫出席.
11月正田建次郎, 文化勲章受章, 文化功労者となる.
昭和45年(1970)1月佐藤幹夫, 小松彦三郎, `超函数の理論と応用の功績' により朝日賞受賞.
3月谷口資金による, 有限群と代数群セミナー, 求是荘で開く. Tits, 鈴木参加.
5月広中平祐, 学士院賞受賞.
8月ニースの万国数学者会議において広中平祐, Fields 賞受賞. 招待講演者は16名におよぶ, 加藤(敏), 鈴木(通), 伊原, 竹崎, 荒木(不), 岩沢, 久保田, 永見, 渡辺(毅), 黒田, 小林(昭), 倉西, 志村, 広中, 伊藤.
11月`数学' 第22巻第4号`数理論理学日米合同セミナー記録' 特集号とする.
永田雅宜, `代数幾何学の研究' により松永賞受賞.
昭和46年(1971)9月京都にて`常微分方程式および関数方程式に関する日米セミナー' 開催.
昭和47年(1972)7月`数学' 第24巻第3号より毎号96 ページに増ページ. 赤池弘次・中川東一郎 `ダイナミックシステムの統計的解析と制御法の確立' により石川賞受賞.
8月京都にて`第2回日ソ確率論シンポジウム'開催.
10月谷ロシンポジウムとして超函数論セミナーが求是荘で開催. Leray, Schapira, 広中参加.
彌永昌吉の寄附による日本数学会賞 (彌永賞) の制度が決定. 春の学会で授賞と記念講演が行われることになる.
昭和48年(1973)4月伊原康隆, 第1回彌永賞受賞.
4月東京経団連会館にて多様体論国際会議開催. 10月発行の `数学' 第25巻第4号を`1973年多様体論国際会議'特集号とする. 報告は Manifolds-Tokyo, 1973 (Proceedings of the International Conference on Manifolds and related topics in Topology, Tokyo, 1973) として, 1974年2月東大出版会から発行.
9月岩波書店より The Collected Papers of Teiji Takagi 発行.
10月位相数学分科会を函数解析, トポロジー両分科会に分離.
昭和49年(1974)3月鈴木通夫, `有限群の研究' により学士院賞受賞.
4月坂本礼子, 第2回彌永賞受賞.
8月バンクーバーで万国数学者会議開催, 団体旅行により, 日本からの出席者初めて100名を越える. 招待講演者は井上政久1名のみ. 前回提案されていた日本とフランスのグループ 5への昇格決定.
彌永昌吉 ICMI (国際数学数育委員会) 委員長に選出される. 任期4年.
9月谷口豊三郎の寄附により谷口国際シンポジウム計画委員会発足. 第1回として北海道大学で有限群論国際シンポジウム開催, 翌年4月発行の `数学' 第27巻第2号をその特集号とする.
10月`数学' 第26巻第4号`数理論理学日米合同セミナー記録' および`C*環と物理学への応用日米セミナー記録' 特集号とする.
11月東京国立教育研究所にて, 日本数学教育学会主催, 数学教育に関する国際会議開催.
昭和50年(1975)1月`数学' 第27巻第1号をバンクーバー. コングレス特集号とする.
4月高橋元男, 第3回彌永賞受賞.
5月学会本部を東京都文京区本駒込2-28-21, 東洋文庫内に移転.
11月広中平祐, 文化勲章受章, 文化功労者となる.
昭和51年(1976)3月京都大学数理解析研究所にて, 代数的整数論国際会議(第2回谷口国際シンポジウム) 開催.
4月加藤十吉, 第4回彌永賞受賞.
6月佐藤幹夫, 学士院賞受賞 小平邦彦, `複素多様体の理論' の研究で藤原賞受賞.
9月東京および京都にて, 関数解析・数値解析日仏セミナー開催.
昭和52年(1977)1月京都大学にて第3回谷口国際シンポジウム (代数幾何学) 開催.
4月河合隆裕, 第5回彌永賞受賞.
8月第4回谷口国際シンポジウム (確率論) 堅田求是荘にて開催.
10月東京数学会社創立100周年記念行事を日本物理学会と共同で開催 (本号参照).
12月名簿を初めてコンピューター処理で製作.

資料